茶杓と竹花入

1.茶道具と竹との出会い

室町時代後期までの茶の湯では茶杓には象牙、花入には胡銅、青磁などが使われてきましたが、侘茶の隆盛と共に茶杓は竹が主流となり、花入も胡銅や陶磁器と共に竹が使われるようになって今日に至っています。  竹茶杓、竹花入は共に利休以前にも作られていますが、茶道具としての価値を見出し、広く使われるようになったのは、侘茶を大成させた利休によるものと言えます。

2.茶杓、花入れに使われる竹

茶杓、花入共に日本古来の真竹が主に使われますが、淡竹も一部使われます。孟宗竹は、江戸時代に日本に伝わった竹で古くは茶道具に使われていませんが、肉厚で太く、堂々とした姿を活かして花入、水指、建水等に使われています。 茶道具に使う竹材は、4、5年生の青竹を冬季に伐採し、陰干しをして水分を抜いた後、炭火などで炙り油抜きをします。これが白竹(晒し竹)と呼ばれるもので艶のあるきれいな肌になります。 濃い光沢のある煤竹は、茶道具によく使われますが、これは茅葺屋根に使われている竹が囲炉裏の煤で長年燻されて変色したもので元は真竹です。胡麻竹も元は真竹ですが古くなったり、環境の影響などによって表面に胡麻が発生したものです。 茶杓、花入に使われる代表的な竹を整理すると次のようになります。

白竹(シラタケ)
【白竹(シラタケ)】
4、5年生の真竹を冬季に伐採し、陰干しをしてから油抜きをした竹で晒し竹(サラシダケ)とも呼ばれます。
煤竹(ススダケ)、繩巻煤竹(ナワマキススダケ)
【煤竹(ススダケ)、繩巻煤竹(ナワマキススダケ)】
茅葺屋根の骨組みとして使われる竹は、むき出しの状態になっていて下から囲炉裏の煤で長期間燻されます。150年以上燻された竹は、煤を取ると茶褐色の光沢を放ち、縄の部分は白く(琵琶色)残ります。
縄が狭い間隔で巻かれていて縄跡が細かく出ている煤竹は「繩巻煤竹」と呼ばれます。
白寂竹(シラサビダケ)
【白寂竹(シラサビダケ)】
煤竹ですが、燻された期間が100年位と短いため、通常の煤竹に比べ色が薄く、琵琶色をしています。
上述の煤竹の裏側(萱に接する側で煙が直接当たりにくい)も同様な琵琶色をしています。
麻竹(ゴマダケ)
【胡麻竹(ゴマダケ)】
竹は、7,8年すると衰え始め、胡麻が発生します。
胡麻は、粒の大小、色、範囲などいろいろな景色となって表れます。
白竹の状態で保管していても湿度等の環境により胡麻が発生することがあります。
蔵寂竹(クラサビダケ)
【蔵寂竹(クラサビダケ)】
白竹の状態で長く(約100年以上)保管すると徐々に琵琶色に変色していくので、蔵(屋内)で生じた寂竹の意味で蔵寂竹と呼ばれます。
古い白竹の茶杓が琵琶色を帯びて美しくなってくるのは、この長い年月に伴う変化によるものです。
染竹(シミダケ)
【染竹(シミダケ)】
竹1本の寿命は10年位ですが、竹藪全体の寿命は約120年と言われており、この時期が来ると花が咲き一斉に枯れます。ある地域では、この120年サイクルの老齢期に節を中心に茶褐色の染みが現れます。
その色や形状は、さまざまで景色として楽しめます。染竹に胡麻が現れている竹は、「時雨竹(シグレダケ)」 と呼ばれます。
皺竹(シボチク)
【皺竹(シボチク)】
表面に皺(シボ)が入った真竹の1種です。
節毎に片側づつ交互にシボが入った竹は、片皺竹と呼ばれ、趣きのある竹として茶道具に使われます。
樋竹(ヒダケ)
【樋竹(ヒダケ)】
一本樋の深い竹を樋竹と呼び、茶杓材料として使われます。
一方、実竹(ジッチク)と呼ばれる非常に深い一本樋を持つ竹が利休時代に使われました。これは、竹の地下茎が石などに当たって地上に伸びた竹です。
雲紋竹(ウンモンチク)
【雲紋竹(ウンモンチク)】
濃淡のある茶褐色の雲状の巻紋がきれいな竹です。
色や形、巻紋の密度、大きさは、さまざまで変化に富んだ景色となっています。
黒竹(クロチク)
【黒竹(クロチク)】
墨色の沈んだ黒色で全体に黒いもの、黒の中に少し白が混じっているもの、筋状に黒くなっているものなど黒色の景色は、さまざまです。
蔵芽黒竹(メグロダケ)
【芽黒竹(メグロダケ)】
表面全体は、梨地状(薄褐色の細かな斑点)で、芽(枝)が出る樋の部分が濃い茶褐色になっています。
茶杓に仕上げると樋の茶褐色が映える竹です。
亀甲竹(キッコウチク)
【亀甲竹(キッコウチク)】
孟宗竹の突然変異から生じた竹で根元部分の節が亀甲状に連鎖していますが、竹の上部になると普通の節になっています。
藤田美術館に利休作といわれる「亀甲竹の一重切」花入があります。

3.茶杓

1)竹茶杓の歴史

お茶を掬う道具としての茶杓は、お茶の伝来と共に中国より伝わりましたが材質は象牙や金属で形も薬の匙のようなものでした。 室町後期には、竹で作られた茶杓も使われるようになりましたが今の茶杓とは異なり、茶さじの形をしており、「茶匙(さひ)」と呼ばれました。多くは、使い捨てで銘も無く、筒も作られませんでした。 代表的な茶匙として、足利義政作の「笹葉(ささのは)」や村田珠光作の「茶瓢(ちゃひょう)」が知られています。 室町末期に入り、長杓で節無し・節止め、下り節の茶杓が現れました。当時は、茶杓削り師の地位が高く、朱徳や羽淵宗印らが活躍し、茶杓と共にその名が残っています。 その後、千利休以前にも中節の茶杓は見られましたが「白竹・中節」の茶杓の定型化は利休によって完成されました。 利休時代には、一部の茶杓では銘が付けられ、筒も作られるようになりましたが、茶杓に必ず銘・筒が揃うようになったのは、更に時代が下り、宗旦、遠州の頃になります。